山の中、この時期一番初めに聞こえるのは
ヒグラシの声である。
日暮(ヒグラシ)とは言うものの、夜明けに真っ先に鳴く。
その後、ツクツクボウシやらニイニイゼミやら鳴き始める。
あまり時間帯が被る事はなく、次の時間帯に引き継ぐかのように蝉の種類が変わっていく。
「まるでシフト制のようだな」
布団に籠もりながらスマホで調べてみた。
どうやら周波数帯が近い蝉は、互いの声が干渉しないよう同時に鳴くことはあまりないらしい。
蝉には蝉同士のルールがあり、やみくもに鳴くわけではなく意外な社会性さえ感じた。
たしかにカラオケを歌っている時に、同じボリュームで他の曲を歌われても、結構疲れるだろうなぁと妙に納得した。
数年土の中で過ごし、残された僅かな時間を地上にて過ごす蝉にとって、エネルギーの無駄遣いは死活問題なのだろう。

蝉と言えば鳴き声も風物詩ではあるが、抜け殻もまた季節を感じさせてくれる。
長い間、土の中を過ごした姿がそっくり仮の姿になり、本物の身体はどこか別の場所にある。
空蝉は2つの意味があり、蝉の抜け殻という意味と現世を生きる身体という意味があると言われています。
古語では現身(うつしみ)から転じて空蝉(うつせみ)となり、無常や儚さを表現する言葉として使われてきました。
ブリーダーという仕事をしていると少なからず生死を目の当たりにする事があり、現身の儚さを思い知らされます。

きれいですね。
借り物の身体で現世を生きている。
伊達政宗公の
「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」
という前向きな心持ちでいたいですね。
宍戸政俊ブリーダーの子猫一覧
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